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注文相撲──把瑠都の変化に「帰れコール」、同じ変化でも稀勢の里だと大絶賛──困ったもんだよ島国根性(笑)

大相撲12日目。全勝の把瑠都と2敗の稀勢の里の一番。
把瑠都が低く突進してくる稀勢の里の態勢を見て左に動く。稀勢の里はひとりで土俵下にふっとんでいった。
しつこく「帰れコール」をやっているのがいる。
相撲で「帰れコール」を聞いたことがないので勘違いかと思う。たしかに「帰れ、帰れ」と言っている。
なにに対してなのだろうと考える。把瑠都に対してなのか? それしか考えられない。
その後、新聞で、それが把瑠都の変化に対しての「帰れコール」なのだと知る。でもそれはヘンだ。



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これは10日目に稀勢の里が琴奨菊に変化して勝った一番。これに関するスポニチの記事を抜粋。

新大関・稀勢の里が大関・琴奨菊を立ち合い一瞬の突き落としで破り、1敗をキープした。6連敗中だったライバルに対し、場所前から積極的に胸を合わせた成果を発揮。
 同じ大関として初めて迎えた“菊稀対決”は稀勢の里の瞬時に下した判断で勝負が決まった。注目の立ち合い。稀勢の里は琴奨菊の体勢が低いことに気づいた。「内容的には良くないけど相手の足、頭の位置を一瞬で見られた」。左に動きつつ即座に繰り出した突き落としで相手がバッタリ。前に出る相撲を身上とするだけに、あっけない幕切れには不満を抱くが、苦手のライバルを破り「きっかけにしたい」と確かな手応えを口にした。

 これまでの対戦成績は11勝24敗。直近は6連敗中とあって場所前から“対琴奨菊”には並々ならぬ意識を注ぎ込んできた。年始の一門連合稽古でも積極果敢に申し合いを行い、11勝8敗で勝ち越した。「(琴奨菊と)あれだけ(稽古をたくさん)やったのは初めて。あの時の感覚と自分の勝負勘を信じた」


11勝24敗と大きく負け越していて、ここのところ6連敗という苦手の相手に変化技で勝った。本来ならブーイングのはず。なのに「場所前から積極的に胸を合わせた成果を発揮」と誉められる。変化で勝ったのだ。「成果を発揮」もなにもあるまい。「あの時の感覚と自分の勝負勘を信じた」というコメントも意味不明。変化で勝ったのに「あのときの感覚」もあるまい。まあ「勝負勘を信じた」はその通りだが。

ここにあるのは負けが込んで優勝とは程遠い琴奨菊はもうどうでもよく、まだ1敗で優勝の可能性のある稀勢の里に、栃東以来の日本人優勝を願う身贔屓である。
もしもここですでに4敗している琴奨菊が変化して稀勢の里を破り、2敗にしたなら、まったく同じ相撲なのに非難囂々だったろう。まさに御都合主義である。日本人力士好きのファンはそれでもいいが、この記事を書いたスポニチの記者に定見はあるのかと呆れる。これではたんにファンに阿っているだけではないか。



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一方、稀勢の里を破った把瑠都にはこんな評。ニッカンスポーツ。

大関把瑠都(27=尾上)が唯一の全勝を守ったが、館内はブーイングの嵐。大関稀勢の里(25=鳴戸)を立ち合い一瞬の変化ではたき込んでの注文相撲に「帰れ!」コールも連呼されるほどだった。稀勢の里には過去17勝3敗で6連勝中と圧倒していただけに、よもやの注文相撲。「(変化は)体が勝手に反応した。見に来たファンの皆さんに申し訳ない」と謝罪した。

同じ事をしてもまったく正反対の評価である。同じ状況で殺人をしたのに、日本人だと正義の正当防衛、外国人だと悪逆非道の殺人鬼、と書くようなもの。こういうことを書くスポーツ記者に見識はあるのだろうか。もちろんない(笑)。

稀勢の里は対戦成績が11勝24敗と大きく負け越していて、ここのところ6連敗中という大の苦手の琴奨菊に変化で勝った。「そんな卑怯なことをしなければ勝てないのか!」「そこまでして勝ちたいのか!」と非難殺到が自然な流れだ。

実際、熱戦が期待された稀勢の里・琴奨菊戦が、稀勢の里の珍しい変化ということであっけなく終ったとき、場内には失望の溜め息が漏れていた。それでもやがて場内も、負けが込んでいる琴奨菊が勝って稀勢の里優勝の芽を摘むのではなく、星のいい稀勢の里が勝って白鵬を破っての逆転優勝に繋がるような結果になったからこれでいいかと好意的なものに変っていった。それが現実である。でもそれには触れず「稀勢の里、快勝!」のように、そちらばかりをアピールする。

把瑠都の場合は、17勝3敗と、雑な相撲の把瑠都だが、力の違いでカモにしている相手。6連勝中だ。
今日は、仕切りのタイミングがあわなかった。稀勢の里がいきりたっている。もう2敗している。ここで負けたらすべてが終る。苦手の把瑠都に全力で突っこんで行く意気込みが見えすぎていた。私は把瑠都は変化するのではないかと思った。目の前の牛が、鼻息荒く、全力でまっすぐに突っこんでくるのが見えているのだ。見えすぎているのだ。なにもそれを正面から受けとめてやる必要はない。案の定、把瑠都は左に変った。猛牛はひとりで土俵下に飛んでいった。これぞ稀勢の里が琴奨菊に勝ったときに言った「自分の勝負勘を信じた」になる。なのに「帰れコール」をしつこく叫んでいるバカがいて、それを大々的に取りあげる記者がいる。

悪役朝青龍が力相撲の果てに負けて座蒲団が乱舞するような熱狂ではない。「あ~あ、しょうがねえな」という白けた雰囲気の中で、しつこく「帰れコール」をひとりでやっているバカがいただけなのだ。なのに記者は場内にそれが満ちていたかのように書く。相撲ファンはそこまで下劣ではない。

把瑠都は《(変化は)体が勝手に反応した。見に来たファンの皆さんに申し訳ない」と謝罪した》とのことだが、謝る必要はない。まさにこれこそ「勝負勘」であり、稀勢の里があんなに低い態勢でいきりたっていたら変って当然であり、「躰がかってに反応した」は正直なところだろう。ほんとに「申しわけない」と言ったのかどうか知らないが、もし言ったとしたら、記者の方が「変化したのでがっかりしたファンも多いと思いますが」のように誘導尋問して無理矢理引きずりだしたものだろう。

もっとも初めての優勝がちかづいてきて(把瑠都は前々から一度でいいから幕ノ内最高優勝をしたい。優勝ってどんな気持ちなんだろうと公言していた)嬉しそうに引きあげていった把瑠都が「申し訳ない」と思っているかどうかあやしいが(笑)。るんるん気分で引きあげていった把瑠都はそのままさっさと帰り、結びの一番で日馬富士がこれまた変化で白鵬を破り2敗になったことを確認しなかったらしい。把瑠都のスキップがかわいい(笑)。
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さて、以上は、やたら日本人贔屓で歪んだ報道をするマスコミに対する意見。スポーツ記者の見識にすこし触れた。これはよくある形。相撲担当記者には、こどものころからサッカー大好きでサッカー担当になりたくてスポーツ記者になったのに、全然知らない興味もない大相撲番にされてふてくされているようなのが多い。「いいなあ、おまえ、ワールドカップ取材かよ、おれなんか国技館だぜ。たまんねえよ」なんてのがいる。そのレベルの連中が書く記事だから見識がなく世間におもねるようになって当然だ。
アサヒシンブンのように自分達が国民をリードするのだと思い込んでいるのも困るが、なんも考えず世間の流れに媚びているようなスポーツ紙記者も問題だ。

それはこどもがこどものときに相撲を取る時代ではないのだからしょうがない。一度も相撲を取ったことがないのが記者になっている。
「相撲は国技か!?」という議論になると、歴史的に定義されているわけではないとか大相撲協会が勝手に言っているだけとか論議されるが、そんなことより「こどもが日常的に親しんでいない」のほうが問題だろう。むかしのこどもはみな砂場で相撲を取って遊んでいた。いま相撲はごく一部のデブのスポーツと成り下がっている。国技であるはずもない。



言いたかったことは「変化」について。
私は変化は嫌いである。まあ好角家で変化が好きな人はいないだろう。
解説の北の富士も嫌っている。
擁護するのは舞の海。現役時多用していたのだから擁護せねばならない。
舞の海の理論は一貫している。まずは「変化も相撲のひとつ」。これは当然だ。肝腎なのはこのあと。
幕内前半の相撲で変化が多発したりする。アナが苦言を呈したりする。変化擁護の舞の海は必ずこんな言いかたをする。
「でもですね、××が変化するのはわかっているわけですよ。警戒していればあんなに簡単に落ちるはずはなくて、××がやたら変化に頼るのは問題ですけど、私は負けた▲▲のほうにも責任があると思うんですよね」だ。正論だと思う。大一番を期待する向きに変化はどっちらけだが確実にそれが見える場合もある。露鵬とか阿覧とかのスラブ系力士は引き技と変化が大好きだ。レスリングは引きを大切にする。その癖が抜けない。毎度白けるが、見るたびに、「そんなに簡単に引っ掛かるなよ」と負けた力士にも不満が募る。

今回は逆パターン。稀勢の里は琴奨菊を、把瑠都は稀勢の里を、低い姿勢で全力で突っこんでくると見抜いていた。だから躱した。簡単に勝った。それだけの話だ。非は、相手のことなど考えず、ひたすら猪突しようとだけ思い込んでいた琴奨菊と稀勢の里にある。なのに同じ事をしても、稀勢の里は絶讃、把瑠都は非難。この論調はおかしい。

餘談ながら、餘談でもないか、舞の海と同じく変化を擁護するのに栃東(現・玉乃井親方)がいる。優勝する一番を変化で決めた人だから、そりゃ擁護もするだろう。日本人力士最後の優勝者であり、朝青龍と五分に戦ったことから評価が高いがたいした力士じゃない。勝ち越しのために変化を多用したような大関が賞讃に値するとは思えない。

まあ変化と言えば、晩年の貴乃花も千代大海相手に変化してるし、しかもそれが失敗して負けてるし(笑)、朝青龍も白鵬も横綱なのに変化したことがある。変化を責められる力士はごく限られる。



いつも正攻法でがぶり寄って勝っている琴奨菊は、体調不良の今場所は前半で負けが込んだが、相性のいい稀勢の里をいつもの相撲で破り、波に乗りたいと意気込んでいた。それがあまりに見えたものだから、稀勢の里はめったにやることのないスカシをした。勝負勘である。
私はその日の日記に書いた。「変化は嫌いだが今日の稀勢の里はよい。琴奨菊は低い態勢からの突進が見えすぎていた。負けが込んで焦っていたのだろう。だけどあれじゃ誰でも躱したくなる」。

まったく同じ事を今日の把瑠都にも感じた。だから変化大嫌いなのだけれど、10日目の稀勢の里と12日目の把瑠都の変化は、勝負の駆け引きとしてあり得るものだと容認できた。だがマスコミ的には、前者は絶讃、後者は非難となるわけである。把瑠都は正攻法でも稀勢の里に勝てた。それは今までの結果と力の違いからも明白だ。稀勢の里のような真っ向勝負の力士に把瑠都はめっぽう強い。今日もまともにやっても勝てたろう。そうすれば問題はなかった。あまりに勝負勘があり、稀勢の里の突進を見破ったゆえの突発的な変化になってしまった。格闘家としての反応の良さが出てしまった。まあこのひとは相変わらず相撲が雑で、その類い稀な怪力と、内無双をやったりするセンスの良さだけでもっているのだが。



餘談。ことば「島国根性」について。
私は良いイメージの「大陸的」と、せこいイメージの「島国根性」を、逆の意味で使うことが多い。
たとえば、私からすると、切符売り場に「餌を求めるニワトリのように」突進して我先にと叫きたてる支那人のあれが「大陸的」であり、震災の中、それでも礼儀正しく順番を待つ日本人の美しさが「島国根性」である。
ドアのないトイレでウンコしながら朗らかに世間話をする支那人と、小便の音すら水を流して消そうとする日本人が合うはずがない。

しかしこのやたら日本人力士を身贔屓して外国人力士を批判する姿勢は、悪い意味での「島国根性」になる。
門戸開放したのだから強い体力の彼らに席巻されるのは見えていた。一部屋一外人なんて制限をしている。それでいてこの結果だ。無制限にしたら幕内は全員外国人になるだろう。半端ではあれ門戸開放しているのだから外国人力士の強さを素直に認めろ。一部屋一外人なんてくくりは取っぱらえ。それがいやなら鎖国して日本人だけの伝統芸能相撲にしろ。なんとも半端である。白鵬が、自分達ばかりが出世しては申し訳ないので、早く隣に日本人横綱が並んで欲しいと、気を遣うようなことを言い始めた。それを期待される代表に稀勢の里がいる。力でのし上がったモンゴル人横綱に、こんな気遣いをさせてしまうのも悪い方の島国根性である。

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結びの一番。またも変化。日馬富士の変化に白鵬がふっとんでゆく。
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 横綱白鵬(26=宮城野)は大関日馬富士(27=伊勢ケ浜)に敗れ2敗目を喫した。立ち合いで相手の変化についていけず、土俵下まで一直線。送り出しで敗れた。白鵬は、変化されることは頭になかったか聞かれると「なかったですね」と話した。注目の取組があっけなく終わり「負けるほうも悪いからね」と言葉少なだった。(ニッカンスポーツ)

これも、そろそろ日馬富士がやるぞと思っていたのだが、白鵬はまったく読んでいなかったようだ。白鵬のこの敗戦で一気に今場所がつまらなくなった。1敗でいれば千秋楽結びの一番、白鵬対把瑠都がいかにもりあがったことか。白鵬にこそ日馬富士の変化を見抜き、冷静に潰し、「見抜けないヤツがわるいんだ」と証明して欲しかった。

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大関日馬富士(27=伊勢ケ浜)が、注文相撲で横綱白鵬(26=宮城野)を下して9勝目を挙げた。立ち合い大きく左に変化し、背後を取って送り出し。「(変化は)頭にはあった。真っすぐ行くか、いなしてか…。だますような相撲だった。うれしいはずが、うれしくない」と複雑な心境をのぞかせていた。ニッカンスポーツ

写真を見る限り《「だますような相撲だった。うれしいはずが、うれしくない」と複雑な心境》とは思えないが(笑)。こりゃ「うれしくてたまらん」て顔じゃないの。



と書きあげて、窓の外を見ると雪。暮れに都心ではすこし降ったらしいが、今冬、私には初雪である。
今日は相撲を見ながら雪見酒が出来る。

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