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たけしと出逢えた喜びを綴る西村賢太日記──有名人の呼びすてについて

大のたけしファンである友人のSが「作家西村賢太がたけしのことを書いています」と教えてくれました。
「もう読んでいるかも知れませんが」と書いてありましたが、ぜんぜん知りませんでした。
早速出かけました。「あのひとがブログをやっているのだろうか」と疑問に思っていたのですが、これ、文藝春秋のサイトなのですね。

リンクしましたので未読のかたは読んでください。若い頃からたけしと高田文夫の大ファンだったという彼の、実物のたけしと酒を飲めた感激が伝わってきます。



さて、いい機会なので「呼びすて」について書いておこうと思います。 
「たけしさん」としたメールを数多くもらうからです。

むかしから「有名人は呼びすて」がふつうでした。
しかしいつしか「呼びすては失礼ではないか」のような風潮が蔓延してきました。

そのころに「呼びすてにされてこそ本物。 誰も長島や王に〝さん〟はつけない」という識者の意見を読み、意を強くしました。それでいいのだと思いました。
長島や王が現役だった、私の若い頃の話です。ず~っと前のことです。
以来、私はそれを護るようにしてきました。

近年(馬場が死んだのは1999年だから近年でもないのか)イヤだったことに「馬場さん」があります。
あれは一種の猪木に対する馬場ファンのアンチテーゼだったのでしょうが、現役のプロレスラーを〝さんづけ〟するのは、私には気味の悪いものでした。



脱線しますが、いや本質的には脱線していないのですが、これはことばの「複数」の問題にもつながっています。

「〝鳥〟では一羽か百羽かわからない。二羽以上は〝鳥たち〟と言うべきだ」という発想、意見。ここには「英語ではBirdとBirdsと分けている」という英語コンプレックスがあります。英語も二羽も百羽もBirdsなんですけどね。 
益々それは昂じて行き、いつしか「野菜たち」なんて言いかたまで登場しました。

そのことは自分のサイトにまとめてありますので、こういう日本語の話が好きなかたは読んでください。

・《『お言葉ですが…』論考》──「コンプレックスたち」

・〝たち〟が多すぎる──英語劣等感?

「年上の有名人を、見知らぬファンが呼びすてにするのは失礼だ」という発想とこれは同根です。「今までの日本の風習の否定」ですね。



しかしまた私も前記したように、そういう流れの影響を受けて育ちました。
こういうことを言うのは護憲派です。日教組です。サヨクです。当然ですね、今までの日本の風習を否定し、「外国では、英語では」と他国を礼讃し、他国の風習に倣おうとするのは、日本嫌いのひとに決まっています。

「鳥」だけで一羽も百羽も顕し、単数複数の区別などする必要がないことがすばらしいのに、それを缺陥とする感覚。日本を潰そうとするひとは総ゆる日本の否定から入ります。



そういうひとたちの影響を受け、そういう時代に育ちましたから、私の中にも「馬場さん」「たけしさん」と〝さんづけ〟したい気持ち、しそうになってしまう気持ちはあります。
馬場さんはもう故人だし、お目にかかったこともあるので「馬場さん」と書きますが、プロレスに関する文章を書くときはいまも「馬場」と呼びすてです。猪木はもちろん猪木ですね。それが日本の礼節です。

北野武さんとは面識がないので、彼のテレビ番組について書いたりするときは、当然「たけし」と呼びすてです。それが日本的な礼儀であり敬愛です。



今時の若者は、大好きなたけしだからこそブログ等でも「たけしさん」と〝さんづけ〟をすることが敬意だと思っているようです。これも一種のゆとり教育の弊害でしょう。私もそういう時代の波の中をくぐってきたので、気持ちはよくわかります。

でも、たけしのようなひとを、面識もないのに「たけしさん」と呼ぶことのほうがむしろ失礼なのだという日本人の感覚を身につけて欲しいと願います。
「たけしさん」と呼ぶ資格は、「北野演芸館」に招待された芸人ぐらいになって初めて生じるものであり、ただのファンが親しい仲でもあるかのようにそう呼ぶのは失礼なのです。

まあ今の世の中、みんなそっちに流れているので無理でしょうが、もしもあなたが、「鳥たち、野菜たち」という風潮に違和感をもっているひとなら、思いきって「たけし」と呼びすてにしてください。
彼も同じ考えのはずですから。

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