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なぜか突然、藤圭子の「新宿の女」が聞きたくなった──宇多田ヒカルのかあちゃんのデビュー曲

shinjuku なぜか突然、深夜に、藤圭子の「新宿の女」が聞きたくなった。
 宇多田ヒカルの母ちゃんのデビュー曲。

 むかしだったら、この1969年のレコードを手にするために東奔西走せねばならない。中古屋でとんでもない値段だったろう。
 ところが今はYouTubeですぐに聞ける。なんとも便利な時代である。



 宇多田ヒカルに母親の面影をまったく感じないのだが、この17歳の時のレコードジャケットを見ると、それなりに似ているか。こんなにふっくらしていたのだったか。テレビに出るようになってからの彼女はもっと痩せていた。



 Wikipediaを引いたら、《 『怨歌』と呼ばれるような夜の世界の女の感情を歌った暗く陰鬱な歌を、伸びやかに深々と超越的に歌い上げた。》と誰が書いたのか、かってに「怨歌」を使って、へたくそな評をしていた。なんともひどい悪文だ。



 「怨歌」というのは五木寛之の造語である。17歳の娘の歌に含まれた重みに衝撃を受け、五木は「これはもう演歌ではなく〝怨歌〟である」という藤圭子評を書いた。そして、「この怨みの度合は、これから彼女がスターになるに従い薄れて行くだろう」とも書いた。先を予測した見事な評だった。
 事実、浪曲師の父と盲目の瞽女の母のあいだに生まれ、幼い頃から旅回りをしていた美少女の「怨歌」は、スターになるにつれ「ふつう」になっていった。

 Wikipediaの藤圭子の項目を書いたひとは、「怨歌」という五木の造語を使いたいなら、「怨念のこもったかのような藤の歌を、作家の五木寛之は、演歌ではなく〝怨歌〟と評した」のように書くべきであろう。それが礼儀というものだ。



 スターになってからの藤は、前川清との結婚でしあわせになると思ったのに、離婚し、迷走を始め、なんだかよくわからないひとになってしまう。その後は「宇多田」という男と結婚離婚を繰り返し、結果としてヒカルという傑物を世に送り出した。

 消息不明だった懐かしの芸能人が出たりする番組がある。ふだん見ないけれど、藤圭子が出るなら見てみたい。出ないだろうけど。

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