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月9「CHANGE」感想──国会議員選挙が町会議員選挙になっている(笑)

『CHANGE』木村拓哉主演、4月クール月9ドラマ続報!タイトルは『CHANGE』
豪華キャストも続々発表!

アメリカ大統領選でも大活躍! 
選挙操る選挙プランナーに阿部寛、
大物政治家には寺尾聰が!
そして主題歌は世界初のTV主題歌となるマドンナに決定!





 初めて「月9」なるものを見た。「月9」って何年前に出来たことばだろう。とにかくテレビドラマは見ないので初体験。
 この時間に見るのは長年「TVタックル」だった。日テレには「深イイ話」もあるし、ライバルの多い時間帯だ。
 連続ドラマを毎週見るのは「SP」以来なのでそれほどでもない。でもその「SP」は何十年ぶりかだったが(笑)。



 テレビドラマだからこんなものだと割り切るべきなのだろう。でもすでに『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』を愉しめなくなってしまった身には、見ていてつらいものがあった。
 批判的な目で冷笑しつつ見るならまだ救いがある。今回で愛想を尽かして以後見なければいい。そうではなく、是否とも来週からも見たいので、どうか期待外れにならないでくれ、おれを楽しませてくれと祈りながら見ているのに、苦笑してしまうようなひどいシーンが連続するのだから、これはつらい。

 すべての不満は「リアリティ」についてだ。テレビドラマにそんなことを求めるのは不粋と言われそうだが、ことが選挙であり、総理大臣話なのだから、政治好きとして看過できない。いやまあそれ以前の話なのだろうけど……。



 不満の一は、議員世界の描き方がひどすぎること。
 キムタクの父は与党の現役国会議員だった。それがヴェトナムの航空機事故で亡くなった。その弔い合戦である。それはもうたいへんな盛りあがりになる。

 なのに地元の後援会は車だん吉扮するしょぼくれたおっさんが「先生が死んじまったァ」と二人、しょんぼりしているだけであり、母親役の富司純子とキムタクの絡みは、「貧乏な母子世帯」のよう。んなあほな。もう山のようなひとの出入りで足の踏み場もないほどの混雑でなければおかしい。

 議員というのは「神輿に乗った人」である。その神輿は、町会議員、市会議員、県会議員、国会議員と次第に大きくなって行く。現役の与党議員である。いかな人生を歩んできたことか。いみじくもそれは富司が「選挙になったら元気になったね」とキムタクに言われ、「議員の妻を三十年もやってきたのよ」と言うセリフに現れている。死んだキムタクの父は、市会議員からのしあがって議員生活三十年なのである。しかもそのあと、十八年前の一億円不正授受のスキャンダルまで出る。それだけの経歴のある大物議員なのだ。いわゆる金権政治家、地元利益誘導型である。地元に橋や道路をいっぱい作ったことだろう。

 こうなると神輿を支えるピラミッド型構造も底辺が大きく、ひとの出入りもたいへんになる。代々の後援者がいて、後援者の中にも派閥があり、権力争いがあったりする。
 なのにもうしょぼいしょぼい。あのしょぼさは町会議員選挙である。私の田舎の町長選挙ですらあんなものではない。いくらなんでもひどすぎる。



 そのしょぼさを「まあまあテレビドラマなんだから、そんなに熱くならず」と笑ってごまかすのは見当違いだ。
 テレビドラマだから、予算の都合があるから、人海戦術は出来ないから、そんな話をしているのではない。あくまでも脚本の問題である。
 私の言う「後援会の盛りあがり、ひとの出入り、出しゃばり、どたばた、混乱」は簡単に描けることであり、そのことに振りまわされ、うんざりするキムタクを描くことも容易だ。脚本が雑なのである。
 問題は、それらのことがドラマの展開や制作費などの諸問題から割愛されたのではなく、最初から脚本家の念頭にないことだ。割愛されたのならこちらにひびく。こんなことを書くこともない。そうじゃない。この脚本家は政治のそれを知らないし描く気もない。



 その点さすがに類似点を指摘されている弘兼憲史の「加治隆介の議」はよく出来ていた。父と長男が事故で死んでしまう。後継者としてノンポリだった次男が引っぱりだされる。ここまでは同じ。
 だが「加治隆介の議」では、しっかりと、第一秘書だった男を後釜にしようとする後援会一派、これを機会に出馬したい第一秘書、あくまでも血族である次男の加治を出馬させようとする一派という、後援会内の紛争を描いていた。そういうものである。

 国会議員という神輿を担ぐ力は、あれやこれや有象無象が押し合いへし合いしつつ爆走する満員バスのようなものである。自分らの都合のいい方向に行かせようと、ハンドル争いは苛烈になる。なのにここに描かれているのは、キムタクと母親だけが乗り、のんびりと田舎道を行く牛車である。そんなバカな。



 これとまったく同じ不満になるが、なぜ深津があんなに仕切るのかがわからない(笑)。
 まず「死んだ兄が第一秘書としてすべて仕切っていたので、こまかいことが判らない」ということになっているが、秘書が兄一人のはずがない。これぐらいの大物議員になると公設二人に私設三人はいるだろう。なのにその他の秘書はまったく出て来ない。親しい議員も出て来ない。不自然すぎる。
 現役国会議員がみな秘書の経験をし、国会議員になるために秘書になるように、それで議員の仕事を覚えてゆく。議員として活躍できるかどうかは秘書にかかっている。前記の「満員バス」で言うなら、すぐれた運転手が秘書だ。

 それでいて関係のない深津が出て来る。他議員の秘書だ。それが選挙を始めあれこれ仕切る。ドラマの進行上の問題とはいえ不自然きわまりない。



 亡くなったのは十八年前の一億円の不正授受が問題になるぐらいの与党の大物現職議員だったのだから、派閥的なしがらみがなければならない。なのにそれらもまったくない。先輩議員、後輩議員、同僚、誰も登場しない。
「田舎の町会議員選挙」を、東京からやって来た深津が仕切っている。誰なんだこの女は? なんでそんなにでしゃばるんだ? 死んだ国会議員はそんなにひとりぼっちだったのか? こんなものを本気で見ろと言われても困る。

 現実にこういう補欠選挙になったら大物国会議員がぞくぞくと応援に駆けつけて盛りあがる。まして現職国会議員が異国で飛行機事故で死んだ弔い合戦だ。それに対抗する野党側もまた総力戦になる。

 伊東四朗扮する総理大臣は森喜郎の死に体内閣を模していたようだから来ないとしても、そういう「大掛かりな盛りあがり」は演出に入れるべきだ。それもまた簡単に演出できることである。なにより生存時の父と兄がまったく出て来ないのはいくらなんでもひどすぎる。母と弟に父(亭主)と兄(息子)を一度に失ったかなしみがない。

 そしてまたそういう演出をすることは決して「いきなり新人議員が総理大臣になってしまうドタバタ劇」のマイナスにはならない。いい意味でのリアリティになったはずだ。なぜあのような「貧乏くさい手作り町会議員選挙」にしてしまったのか。理解に苦しむ。



 もしもそれを、「分かり易い構図」とし、そうしたのは、「視聴者が分かり易いように」というなら、それはテレビ側の驕慢である。視聴者をコバカにしている。あってはならないことだ。

 視聴者に私のような政治好きおやじはほとんどいないだろう。若者が中心であろう。だがだからといって目線を低くする必要はない。
 それはいわばこども相手に話すからと、おとなが幼児語をしゃべるようなもので、むしろ失礼なのだ。現実に即した演出をすればいい。ドラマに魅力があれば視聴者はついてくる。もともと選挙に興味がなく、キムタクの魅力や習慣や話題性で見ているひとは、国会議員風に演出しようと町会議員風に演出しようと、なんの興味もない。影響も受けない。だがだからこそきちんと描くべきなのだ。

 つまりここには、「政治のこと、選挙のことなど知らないレベルの低い視聴者にも分かり易く描いてあげよう」という送り手側の見おろし視線がある。それはテレビの常だが、ぜったいに視聴者に感じさせてはならないものだ。なのに丸だしになっている。



 というところで、これは政治好きおじさん特有の感想かと思い、2ちゃんねるの「テレビ」という覧の、この番組のスレに行ってみた。すると若者がみな私と同じような厳しい意見を言っていた。憤っているひともいた。
 おとなが幼児語を使ってわざとらしく近寄ってくるのを最も不快に思うのは幼児自身である。こどもはこどもなりに、そのニセモノぶりを見ぬく。なぜそのことに気づかないのだろう。それがマスコミの傲りではあるが。

 これは「国会議員注視のドラマ」でもある。永田町ではみんなが注目している。多くの国会議員が見ると言われている。あのキムタクが自分達政治家を演じてくれるのだ。
 とすると、私のようにこの種のドラマはめったに見ないのに、あえてチャンネルを合わせて苦笑したおじさんも多いと思われる。

 国会議員は私のような不満はもたない。このようなドラマが制作され、若者が政治に興味を持ってくれればそれだけで御の字、とそういう姿勢だ。



 キムタクは巧い役者だと感じた。(本人はおれのことをキムタクと呼ぶひとに自分に対して好意的なヤツはいない、と言っているそうだから、これやめるべきか。便利なので使ってしまったけれど。)セリフの間が抜群にいい。あの富士通のCMと同じである。あれは独自のものか。私はヴァラエティ番組以外の彼は「武士の一分」ぐらいしか見ていないけれど。
 アベカンはあのチャチい設定じゃ力の出しようがない。もったいない。
 役者はみんなうまかった。元議員の木枯らし紋次郎が出ていたのには笑った。
 私もむかしこの「キャスティング」という仕事をやったことがある。ドラマの想定として自分のキャスティング案を提出するのだ。映画の企劃だった。今回関わったら、やはり議員役に紋次郎は書いたように思う(笑)。

 今回の不満は「脚本が、国会議員選挙を、町会議員選挙で描いている」に尽きる。だからもしもこれが「町長だった父親が突然死んでしまい、小学校教師をしていた次男が、その後継者として立候補。町長になって、なんの取り得もない町を活性化させるというドラマ」なら、なんの不満もないことになる。
 しかしそのちいさな不満は根源的なことだ。なにしろ総理大臣になるお話なのだから。



 もうひとつ、私の場合、物語の狂言回しとして設定された、一面において主役でもある重要キャラ深津の存在がうざくてしょうがない。「こんな女、いるかよ」「なんでこんなにでしゃばるんだ、この女は」と不快になってしまう。

 冒頭の忙しさ、切れ者を演出した、議員会館の中を歩きながら慌ただしくケイタイでしゃべりまくるシーンでもううんざりだった。いつみても歩きながらケイタイでしゃべる人間というのは下品である。キャメロンにそればかりやらせたSoftBankのCMは最低だ。
 このテレビドラマを気に入るかどうかで、深津は大きなポイントだろう。

 これからは国会が舞台だから、今回のような選挙に関する不満はなくなる。だが物語の進行役の深津はますます活躍する。新人議員のキムタクが総理大臣になる仕掛けも彼女がやるらしい。とにかく彼女なしにはありえないドラマだ。
 私はきっと彼女が嫌いで(もちろん深津ではなく、そういう設定の脚本が)見なくなってしまうような気がする。それほど彼女の出しゃばり具合が引っ掛かった。
 逆にまたこのドラマに惚れこむひとは、彼女のキャラを容認できるひとだろう。深津のファンにはたまらないドラマか。



 とまあ感じたところを、ドラマ主題歌マドンナの「Miles Away」を聴きつつ書いてみた。アコギのカッティングで始まるこの曲、最近のマドンナにしてはまともな方だからうまくヒットするか。
 キムタクのクルマが中古のプリウスという設定がよかったな(笑)。トヨタ絡み。プリウス欲しいな。中古でもいいから。

 


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 テレビドラマだからこんなものだと割り切るべきなのだろう。でもすでに『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』を愉しめなくなってしまった身には、見ていてつらいものがあった。
 批判的な目で冷笑しつつ見るならまだ救いがある。今回で愛想を尽かして以後見なければいい。そうではなく、是否とも来週からも見たいので、どうか期待外れにならないでくれ、おれを楽しませてくれと祈りながら見ているのに、苦笑してしまうようなひどいシーンが連続するのだから、これはつらい。


 すべての不満は「リアリティ」についてだ。テレビドラマにそんなことを求めるのは不粋と言われそうだが、ことが選挙であり、総理大臣話なのだから、政治好きとして看過できない。いやまあそれ以前の話なのだろうけど……。



 不満の一は、議員世界の描き方がひどすぎること。
 キムタクの父は与党の現役国会議員だった。それがヴェトナムの航空機事故で亡くなった。その弔い合戦である。それはもうたいへんな盛りあがりになる。

 なのに地元の後援会は車だん吉扮するしょぼくれたおっさんが「先生が死んじまったァ」と二人、しょんぼりしているだけであり、母親役の富司純子とキムタクの絡みは、「貧乏な母子世帯」のよう。んなあほな。もう山のようなひとの出入りで足の踏み場もないほどの混雑でなければおかしい。


 議員というのは「神輿に乗った人」である。その神輿は、町会議員、市会議員、県会議員、国会議員と次第に大きくなって行く。現役の与党議員である。いかな人生を歩んできたことか。いみじくもそれは富司が「選挙になったら元気になったね」とキムタクに言われ、「議員の妻を三十年もやってきたのよ」と言うセリフに現れている。死んだキムタクの父は、市会議員からのしあがって議員生活三十年なのである。しかもそのあと、十八年前の一億円不正授受のスキャンダルまで出る。それだけの経歴のある大物議員なのだ。いわゆる金権政治家、地元利益誘導型である。地元に橋や道路をいっぱい作ったことだろう。


 こうなると神輿を支えるピラミッド型構造も底辺が大きく、ひとの出入りもたいへんになる。代々の後援者がいて、後援者の中にも派閥があり、権力争いがあったりする。
 なのにもうしょぼいしょぼい。あのしょぼさは町会議員選挙である。私の田舎の町長選挙ですらあんなものではない。いくらなんでもひどすぎる。



 そのしょぼさを「まあまあテレビドラマなんだから、そんなに熱くならず」と笑ってごまかすのは見当違いだ。
 テレビドラマだから、予算の都合があるから、人海戦術は出来ないから、そんな話をしているのではない。あくまでも脚本の問題である。
 私の言う「後援会の盛りあがり、ひとの出入り、出しゃばり、どたばた、混乱」は簡単に描けることであり、そのことに振りまわされ、うんざりするキムタクを描くことも容易だ。脚本が雑なのである。
 問題は、それらのことがドラマの展開や制作費などの諸問題から割愛されたのではなく、最初から脚本家の念頭にないことだ。割愛されたのならこちらにひびく。こんなことを書くこともない。そうじゃない。この脚本家は政治のそれを知らないし描く気もない。



 その点さすがに類似点を指摘されている弘兼憲史の「加治隆介の議」はよく出来ていた。父と長男が事故で死んでしまう。後継者としてノンポリだった次男が引っぱりだされる。ここまでは同じ。
 だが「加治隆介の議」では、しっかりと、第一秘書だった男を後釜にしようとする後援会一派、これを機会に出馬したい第一秘書、あくまでも血族である次男の加治を出馬させようとする一派という、後援会内の紛争を描いていた。そういうものである。


 国会議員という神輿を担ぐ力は、あれやこれや有象無象が押し合いへし合いしつつ爆走する満員バスのようなものである。自分らの都合のいい方向に行かせようと、ハンドル争いは苛烈になる。なのにここに描かれているのは、キムタクと母親だけが乗り、のんびりと田舎道を行く牛車である。そんなバカな。



 これとまったく同じ不満になるが、なぜ深津があんなに仕切るのかがわからない(笑)。
 まず「死んだ兄が第一秘書としてすべて仕切っていたので、こまかいことが判らない」ということになっているが、秘書が兄一人のはずがない。これぐらいの大物議員になると公設二人に私設三人はいるだろう。なのにその他の秘書はまったく出て来ない。親しい議員も出て来ない。不自然すぎる。
 現役国会議員がみな秘書の経験をし、国会議員になるために秘書になるように、それで議員の仕事を覚えてゆく。議員として活躍できるかどうかは秘書にかかっている。前記の「満員バス」で言うなら、すぐれた運転手が秘書だ。

 それでいて関係のない深津が出て来る。他議員の秘書だ。それが選挙を始めあれこれ仕切る。ドラマの進行上の問題とはいえ不自然きわまりない。



 亡くなったのは十八年前の一億円の不正授受が問題になるぐらいの与党の大物現職議員だったのだから、派閥的なしがらみがなければならない。なのにそれらもまったくない。先輩議員、後輩議員、同僚、誰も登場しない。
「田舎の町会議員選挙」を、東京からやって来た深津が仕切っている。誰なんだこの女は? なんでそんなにでしゃばるんだ? 死んだ国会議員はそんなにひとりぼっちだったのか? こんなものを本気で見ろと言われても困る。


 現実にこういう補欠選挙になったら大物国会議員がぞくぞくと応援に駆けつけて盛りあがる。まして現職国会議員が異国で飛行機事故で死んだ弔い合戦だ。それに対抗する野党側もまた総力戦になる。

 伊東四朗扮する総理大臣は森喜郎の死に体内閣を模していたようだから来ないとしても、そういう「大掛かりな盛りあがり」は演出に入れるべきだ。それもまた簡単に演出できることである。なにより生存時の父と兄がまったく出て来ないのはいくらなんでもひどすぎる。母と弟に父(亭主)と兄(息子)を一度に失ったかなしみがない。


 そしてまたそういう演出をすることは決して「いきなり新人議員が総理大臣になってしまうドタバタ劇」のマイナスにはならない。いい意味でのリアリティになったはずだ。なぜあのような「貧乏くさい手作り町会議員選挙」にしてしまったのか。理解に苦しむ。



 もしもそれを、「分かり易い構図」とし、そうしたのは、「視聴者が分かり易いように」というなら、それはテレビ側の驕慢である。視聴者をコバカにしている。あってはならないことだ。


 視聴者に私のような政治好きおやじはほとんどいないだろう。若者が中心であろう。だがだからといって目線を低くする必要はない。
 それはいわばこども相手に話すからと、おとなが幼児語をしゃべるようなもので、むしろ失礼なのだ。現実に即した演出をすればいい。ドラマに魅力があれば視聴者はついてくる。もともと選挙に興味がなく、キムタクの魅力や習慣や話題性で見ているひとは、国会議員風に演出しようと町会議員風に演出しようと、なんの興味もない。影響も受けない。だがだからこそきちんと描くべきなのだ。


 つまりここには、「政治のこと、選挙のことなど知らないレベルの低い視聴者にも分かり易く描いてあげよう」という送り手側の見おろし視線がある。それはテレビの常だが、ぜったいに視聴者に感じさせてはならないものだ。なのに丸だしになっている。



 というところで、これは政治好きおじさん特有の感想かと思い、2ちゃんねるの「テレビ」という覧の、この番組のスレに行ってみた。すると若者がみな私と同じような厳しい意見を言っていた。憤っているひともいた。
 おとなが幼児語を使ってわざとらしく近寄ってくるのを最も不快に思うのは幼児自身である。こどもはこどもなりに、そのニセモノぶりを見ぬく。なぜそのことに気づかないのだろう。それがマスコミの傲りではあるが。


 これは「国会議員注視のドラマ」でもある。永田町ではみんなが注目している。多くの国会議員が見ると言われている。あのキムタクが自分達政治家を演じてくれるのだ。
 とすると、私のようにこの種のドラマはめったに見ないのに、あえてチャンネルを合わせて苦笑したおじさんも多いと思われる。


 国会議員は私のような不満はもたない。このようなドラマが制作され、若者が政治に興味を持ってくれればそれだけで御の字、とそういう姿勢だ。



 キムタクは巧い役者だと感じた。(本人はおれのことをキムタクと呼ぶひとに自分に対して好意的なヤツはいない、と言っているそうだから、これやめるべきか。便利なので使ってしまったけれど。)セリフの間が抜群にいい。あの富士通のCMと同じである。あれは独自のものか。私はヴァラエティ番組以外の彼は「武士の一分」ぐらいしか見ていないけれど。
 アベカンはあのチャチい設定じゃ力の出しようがない。もったいない。
 役者はみんなうまかった。元議員の木枯らし紋次郎が出ていたのには笑った。
 私もむかしこの「キャスティング」という仕事をやったことがある。ドラマの想定として自分のキャスティング案を提出するのだ。映画の企劃だった。今回関わったら、やはり議員役に紋次郎は書いたように思う(笑)。


 今回の不満は「脚本が、国会議員選挙を、町会議員選挙で描いている」に尽きる。だからもしもこれが「町長だった父親が突然死んでしまい、小学校教師をしていた次男が、その後継者として立候補。町長になって、なんの取り得もない町を活性化させるというドラマ」なら、なんの不満もないことになる。
 しかしそのちいさな不満は根源的なことだ。なにしろ総理大臣になるお話なのだから。



 もうひとつ、私の場合、物語の狂言回しとして設定された、一面において主役でもある重要キャラ深津の存在がうざくてしょうがない。「こんな女、いるかよ」「なんでこんなにでしゃばるんだ、この女は」と不快になってしまう。

 冒頭の忙しさ、切れ者を演出した、議員会館の中を歩きながら慌ただしくケイタイでしゃべりまくるシーンでもううんざりだった。いつみても歩きながらケイタイでしゃべる人間というのは下品である。キャメロンにそればかりやらせたSoftBankのCMは最低だ。
 このテレビドラマを気に入るかどうかで、深津は大きなポイントだろう。


 これからは国会が舞台だから、今回のような選挙に関する不満はなくなる。だが物語の進行役の深津はますます活躍する。新人議員のキムタクが総理大臣になる仕掛けも彼女がやるらしい。とにかく彼女なしにはありえないドラマだ。
 私はきっと彼女が嫌いで(もちろん深津ではなく、そういう設定の脚本が)見なくなってしまうような気がする。それほど彼女の出しゃばり具合が引っ掛かった。
 逆にまたこのドラマに惚れこむひとは、彼女のキャラを容認できるひとだろう。深津のファンにはたまらないドラマか。



 とまあ感じたところを、ドラマ主題歌マドンナの「Miles Away」を聴きつつ書いてみた。アコギのカッティングで始まるこの曲、最近のマドンナにしてはまともな方だからうまくヒットするか。
 キムタクのクルマが中古のプリウスという設定がよかったな(笑)。トヨタ絡み。プリウス欲しいな。中古でもいいから。

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