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映画「あずみ」を見る──ひ弱な刺客(笑)+「ランボー/最後の戦場」すこし

 


  小山ゆうサイト
http://www.yu-koyama.com/news.html



 


「ビッグコミックスペリオール」連載の「あずみ」が、上戸彩主演で映画化されたのは2003年だった。


 見る気はなかった。私は原作を読んでいる。毎号缺かさず読んでいるし、単行本もすべてもっている(照)。小山ゆうのファンなのだ。デビュー作「おれは直角」のころから。




 私はボクシングマンガとして「あしたのジョー」より「がんばれ元気」の方が好きである。小山は「がんばれ元気」を描くとき「あしたのジョー」を意識し(当然だ)、あそこにある「貧しさ」を否定しようと思ったと語っている。梶原一騎の孤児院応援のような視点は、ジョーでもタイガーマスクでも十八番である。梶原にとって、主人公は貧しくても健気、悪役は金持ちで嫌味、と決まっている。まあそういう時代。貧乏人に勇気を与えるためか、いつでも主役で正義の味方は貧乏人だった。
 元気は、そういう設定から、元気を生んですぐに亡くなった母との愛こそ疎遠だったが、貧しい父と一緒に放浪して育ち、父が死んだあとは裕福な祖父母に育てられるという形を取って、経済的困窮とは無縁だった。

 というこれらを、私はついこのあいだのこととして語っているのであるが、あの「がんばれ元気」の大ファンだった少年が結婚して子供を作り、その子に「元気」と名づけた、それが挌闘家・須藤元気だというのだから、古い話になる(笑)。



 好きな原作の映像作品は、小説であれコミックであれ、見ないに限る。見たら必ず不愉快になる。見てはならない。これらには、見たい気もするが我慢して見ないものもあれば、最初からなんの興味もないものもある。

「あずみ」の場合は、これはもう後者。なにしろ鬼神のごとき強さのあずみと、異人の血が入っているそのうつくしさは、コミックとしてもかなり無理のある作品なのだから、とてもとても実写版は不可能。どんなものになるかは見ないでもわかる。見る気などなかった。



 一作目はテレビの深夜映画で見た。深夜の三時から明け方の五時までやっていた。こわいもの見たさで、よそうよそうと思いつつ、ついつい見てしまった。苦笑した。こういう作品にケチをつけるのは野暮だろう。だからわかったようなことは言わない。

 ただひとつだけ、上戸があまりに今時の娘らしく、手足がか細く、非力だった。ストーリィだとか展開だとか殺陣だとか言葉づかいだとか、すべて無視できる。だけどこれだけはどうにも看過できなかった。
 箸より重いものを持ったことのない弱々しい体付きだ。現実世界でも体育は苦手だったろう。重い刀を振りまわして大の男をばったばったと斬りたおす異常な運動神経をもつ刺客の役は無理。か細い手足に筋肉がない。
 スタイルがよいと言われる今時の娘は、洋服が似合うハンガー体形だ。上戸もそう。いくらなんでも細すぎる。腕が細い。太腿が細い。

 コミック「あずみ」とは無関係に、上戸彩の映画「あずみ」として割り切るつもりでいるのだが、刀を持っただけでよろよろしているような姿を見るのはつらい。
 かといって「あずみ」に似合う美貌と逞しさをもった娘などいない。だからそもそもが無理なのだけれど、いくらなんでもひ弱。



 二作目を見たのは偶然だった。アメリカのサイトに「Azumi──Death or Love」とあったのである。もしかしてと思ってDownloadしたら「あずみ」の二作目だった。2005年制作のこの二作目はアメリカでも公開されたらしい。誰がアップしたのかはわからないが、日本映画大好きのアメリカ人と考えるのがふつうか。だってその他の日本映画なんてまったくないサイトだったし。

 感想は一作目と同じ。これはこれで楽しむべきと思うのだが、刀を持ったか細い手足の上戸がよろよろしていて、異常な動体視力と運動神経をもつあずみとはあまりに違う。あずみは物心つくときから特訓に継ぐ特訓を受けて育てられた殺人マシンである。上戸が似合うのは殺しあいとは無縁の町娘であって、刺客ではない。


 それと、こんなことをいってもしょうがないんだけど──ちょうどそのまえ、スタローンの映画を見ていたこともあり──こういう映画って、自分の方のひとりが死んだら泣き喚いて大騒ぎするんだけど、相手は何十人も殺していたりするんだよね(笑)。そんな矛盾が目に着いた。それをいっちゃあおしまいか。



 そういや「ランボー 最後の戦場」は、日本ではついこのあいだ封切り。世間の評価はどうなのだろう。私はもう2月に感想を書いているけど。


 ランボーのようなヒーローを有色人種で作り、紛争に悩む白人国に乗りこみ、有色人種ランボーが、マシンガンで白人を殺しまくったら、あいつらはどんな反応を見せるだろう。
 ランボーがミャンマー人を殺しまくっているとき、そんなことを考えた。


 アメリカは、絶対に無差別大量殺人の原爆投下を謝らない。必然性があったのだと譲らない。ドイツではなく日本に落とした。最初から白人国のドイツに落とす予定はなかった。
 多大な開発費をかけて作った新兵器の実験だった。作った以上、使ってみたい。実験相手は黄色い猿だ。ライヴァルのソ連に対する威嚇だった。原爆投下もランボーも同じ線上にある。



 挌闘家の謙吾がいい味を出していた。これは三木聡の「ダメジン」を見たときも思った。気持ち悪い役者として光っていた。挌闘家としてはしょっぱかったが、怪優として成功するかも知れない。


 いまWikipediaを読んで知ったのだが、「あずみ」って舞台化もされているんだって。あんなもの舞台にしてどうしようというのだろう。感動の「基点」をどこにおくのだ。理解しがたい。

 山本周五郎や池波正太郎の短編が舞台になるのは、その「感動」がわかりやすいからだ。太平の世を作るためという天界僧正の意を受けて、人を殺しまくるあずみ本人ですらよくわかっていず、わかっていないからこそ14年も続いているこの物語を、どうやって1時間半程度の演劇にしているのだろう。不思議でならない。



 連載開始からもう14年。早いものだ。もう14年にもなるのか。隔週発売のスペリオールの連載。単行本も40冊以上だ。

 作品の進行と時代は関係なく、あずみの外観も変らない。少女のままだ。でももしもリアルタイム進行だったら、あずみはもう三十女になる。当時の結婚適齢期は十六から十八、二十歳で独身だと行き遅れ、年増と言われた時代、三十はもう大年増である。う~む、少女のあずみもいいが、三十のあずみもいいなあ(笑)。


 まあそんなこといったら「浮浪雲」なんて35年時間が止まっている。新之助は11歳、お花は8歳のままだが、「あぶさん」のように進行していたら、新之助は46,お花は43だ(笑)。すごいことになる。



 原作と切りはなし、映画は映画としてこだわりなく楽しむべきだと思うし、それはそれでそこそこ出来るのだけれど、この作品に関しては、どうにも上戸のか細さが気になってならなかった。
 たぶん原作とは関係なく、ふつうの時代劇映画として見ても、同じ感想を持ったろう。上戸に刀を振りまわす役は無理である。



 コミック「あずみ」は、読者サービスなのか、あずみの露出度が高い。あの時代、あんなに太腿あらわでは、山中を駈けまわり、闘いぬくのだから、擦過傷はもとより、虫に食われるだけでも、あずみの肌はボロボロだったろう(笑)。いやほんと。アフリカでは長袖着用が基本なのだ。「ターザン」のジェーンなんてあんなに露出していては肌は虫食いだらけだったろう。あずみはタイツを着用すべきだ。
 着物のすそが風で捲れ、脹ら脛が見えただけで赤面する時代、太腿顕わのあずみのあの恰好は露出狂である。


 それでもコミック「あずみ」は、逞しい太腿で、彼女を刺客に相応しいだけの体格に描いている。男と比べると力は劣るが、敏捷さで勝負している。
 彩ちゃん、いくらなんでも弱々しい。


 かといって、コミックのあずみに似ている面立ち、体形の、ハーフのモデルなんかを主役にしたのでは、映画はヒットしないのだろう。あくまでも上戸彩人気にのっかった作品だ。


 ま、文句を言うつもりはありません。一応二作とも見たので感想を書きました。


 


 


 

Comments

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 はじめまして。この記事、かゆいところに手が届く内容でした。
 
 上戸彩のことをハマり役などという人がちらほらといますが、いったいどういう感覚をしているのか謎でしかないです……。
 
 ただ、あずみの強さ・逞しさ、そしてエキゾチックな美貌を兼ね備えた女性は、現在の日本にひとりだけいます。来年にでも、その女性を主役としたあずみのドラマなどを制作してほしいと願うばかりです。
 
 その女性とは━━松井珠理奈ちゃんです。

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